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10.笑いと生命力

 最後に「笑いと生命力」と書きましたけれども、やはり笑うということは、人間が生きて行く力に大きく関係しているに違 いないと思います。先ほどの遺伝子との関係などがもっと見えてくると、本当に笑うということが生きて行く力に関係してい るということが、もっと確信を持って言えるのではないかと私は思います。今日のところはまだまだそこまで言い切れません が、経験的に言って、長生きしている人、私の近くでも100歳近い方もいらっしゃいますが、そういう方を見ていますとよく笑 います。細かいことにこだわりません。 何かちょっと言っていると「何ごちゃごちゃ言うてんの」という調子です。言うのが アホらしくなってきます。そしてよく笑います。こういうのはやはり何か生命力と関わりがあるのではないかと思います。
 世界最長寿の122歳まで生きたフランスのカルマンさんという方がおられました。1997年に亡くなられて私も新聞記事で知っ たのですが、このカルマンさんが残された言葉に「退屈しないことと、笑うこと」という言葉があります。退屈しないこと、 これは分かりますが、そこに敢えて笑うことが付け加わっているのです。色々な言葉があるのに、笑うことが大事だということ が付け加わっているのです。この122歳まで生きたカルマンさんにも、笑いの大切さが実感としてあったのではないかと思います。
 だんだん齢をとっていきますと、笑わなくなるという傾向が出てくるものです。若い人達が笑っているのが分からないとい うことが出てきます。自分の息子がテレビを見て笑っていると親父さんは腹が立ち「なんだくだらないもの見て!」とすぐ怒っ てしまいます。そういう傾向が出てきます。もちろんネタが分からない、ということは当然起こります。若者達のネタと私達が 知ってるネタとは違いますから、違いは当然出て来ます。笑いが減ってくるということでは、観念の固定化があります。齢をと ると出来上がった常識や概念に縛られがちです。それは頭が固くなるということとして言われます。ですから年取ってくると クイズなどは段々苦手になって来ます。ここにおられる皆さんは、パソコンを操り、プログラム開発などをやっておられるの で、とても柔軟なのかも知れませんが、私などは子供からクイズを出された時に困るなと思うのは、なかなか答えが出せない のです。
 次のようなクイズを試されました。「黒豆と白豆と一緒に炊きました。炊き上がった後、その黒豆と白豆をピタッと分ける ことが出来ました。どうしてでしょうか。」と言うのです。仕切りもせず、黒豆と白豆を一緒に炊き、炊き上がった後サッと 黒豆と白豆を分けることが出来たというクイズです。私はどうしてそんなことが起こるのだ、とまともに考えてしまいます。 当然グツグツ煮たら混ざるに違いないし、炊き上がってすぐ分ける、なんてどうして出来るのか、う〜ん、と考え込んでしま いました。すると子供は「何考えてるの」と言い、答えは「一粒ずつ炊いたんだ」と言うのです。確かにスッと分けられます。 しかし私は「一粒ずつ」などと全く思いつきませんでした。つまり常識が固くなってるのかな、と思います。「豆を煮る」と 聞けば、多くの豆をグツグツと煮るという観念に囚われてしまっているわけです。その時に頭が柔軟に回転すれば、そういう 答えもすぐに導き出せるのでしょうけれども、なかなかそれが出来ません。やはり頭が固くなってるのでしょう。
 しかしそうは言うものの、笑いが生きる力に関係しているとすると、笑うことに私達は努めた方が良い、面白いネタがあっ たら覚えておく、人に会ったらまた笑わせる、ということを機会ある毎に実践した方が良いのではないかと思います。つまり、 頭を柔軟に保たせる、笑いというのは必ず頭が柔軟に巡らないと笑えない、ということです。先ほどお話した「テレビの下に ある台も付けておいてぇな。そんなことしたら台無しでんがな。」もそうでしょう。物理的な台と、台無しというのが、パッ と瞬間的にくっつかないと笑えません。別の話の例では、ポタポタ水垂らしながらバケツ持って歩いている人を見て「バケツ から水漏れてるじゃないの」と言ったら、バケツ持ってる人が「あっ、そこまで気づかなかった」という笑い話です。バケツ の「底」と「そこまで」を引っ掛けています。こういうことが頭の中でパッと閃かないと笑えません。
 先日、友達と私がウナギを食べに行き、ウナギ丼を食べていました。私がなんとなく、ウナギも養殖が多い時代ですから 「このウナギは養殖かなぁ」と言ったら、友達が「いや、これは和食やで」と。そういう論理が違う異質のものが突然パッ と結合するわけです。そこで笑いが起こるのですから、やはり頭は柔軟でないと笑いは起こり難い、ということは言えると 思います。そういう意味では、出来るだけ笑いに私達は努めた方が良いのではないかと思います。
 皆さんの会との関連でこんなことを私はして頂けたら有難いな、ということを最後にちょっとお願いしたいと思います。 日本笑い学会では、笑うロボットの研究をしている大学の先生がおられます。笑いというのは、どういうメカニズムで起こ るのか、これを数値に置き換えて何とか笑うロボットを生み出そうと、研究をしている先生が広島大学の先生でいらっしゃ います。そういうことが出来ればとても楽しいし、面白いな、と私は思っています。 
 例えば夢路いとし喜味こいしの漫才がありましたが、いとしさんが亡くなられて、あの何とも言えない芸がもう二度と 生で見られない、しかし見たいという気持ちはあります。過去の名人の音声テープを流しながら所作を操り人形でみせる という人形劇団があります。これはなかなか面白い試みでビデオ見てるのとは味がちょっと違います。ですから、それを ロボットで、いとしこいしさんが正に洋服着けて実演されているような感じのロボットで、声が出てくる、そんなのが出 来たら良いなぁ、と思います。そういうものから更に進んでロボットと私達が何か会話が出来て「そんなアホな」とか、 やれるような楽しいロボットが現れてくれると、私は楽しいなと思っております。ご興味がありましたら、そんなものに チャレンジして頂けると大変嬉しいと思っております。

 これで90分経ちましたので、この辺で終わらせていただきますが、熱心に聞いて頂きまして、本当にどうもありがとう ございました。(拍手)。


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