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9.大阪商人の生活の知恵〜笑いの効用を生かす

 大阪の商売人は交渉ごとが大事です。物の値段を決める時に値切ったり値切られたり交渉をします。交渉するときには、冗談の 一言でも言おうかな、と皆思っています。例えば、冗談言い易いのは日本橋の電気屋さんです。ポイント制(の値引き)になると冗 談言えないのですが、今でも日本橋を歩くと店員さんが交渉に応じてくれます。そうすると冗談交わしながら会話をします。先日 私はテレビを買いまして、もう少しサービスして欲しいな、と思い、その時に「テレビの下に付いてるこの台も付けといてーな、 ほんなら買うわ」と、交渉をしました。そしたら向こうも「そんなことしたら大将、台無しですわ」と言ってきます。上手いこと 言うなぁ、笑ってしまいます。そういう冗談交わしながら交渉を進めます。これは非常に距離が近くなりますから、距離を近くに 取っての交渉事です。近くにならないと交渉事は進まないです。ですから大阪にはシャレ言葉みたいなものが随分発達をみていま す。これがサムライ言葉と違うところです。やはり商人の社会で何が大事かと言ったら口が大事です。口でとにかく交渉事をする ということです。一旦決めたら変わらない、ではないのです。それを交渉事で変えていく、商人の社会はそういう社会です。
 口は大事ですから、色々な言い回しには気をつけます。 面白い言い回しを交えて会話したいと思うのです。少し古い例ですが、 最近の若い人はあまり使わなくなりましたが、景気についてです。出会い頭に「景気はどないでっか」こういう声を掛けます。 大阪の人は一般的には「儲かりまっか」と声かけると言われていますが、そういう言い方はしません。誰かが面白く言ったのだと 思いますが、そのようなズバリ「儲かるか」などという赤裸々な物の言い方はしません。つまり柔らかく包んだ言い方が好まれ ます。シャレ言葉が流行ったのもそういうことがあります。「景気はどないだ」という話になった時、「いやいや、もうあきま へん、赤子の行水ですわ」と言いますと、相手は「さよか、頑張っとくなはれ」と応じます。さて赤子の行水とは何でしょうか。 これは昔内風呂の無かった時代に赤ん坊を行水させるのにタライの中で行水させていました。これが庶民の家庭での一般の風景 でした。そのタライの中で赤ん坊を行水させると、赤ん坊は大体泣きます。つまり、タライで泣く、金がタライで泣く、赤字で ある、ということです。実に持って回った物の言い方です。そういう表現を間に挟みながら会話をかわすのです。
 次のような言い方も時々聞きます。「なんやその仕事は!砂糖の手づかみやな!」とボスが怒ります。部下の出したペーパーを 読み「なんだこれは、砂糖の手づかみやな」と怒っているのです。怒られた方はポカンとして「何が砂糖の手づかみですか?」 と聞きます。「詰めが甘い言うとんねん!」と言うのです。つまり粉砂糖を手づかみすると、爪の間に砂糖がちょっと詰まり、 舐めたら甘い、爪が甘い、ということです。ですから「お前の書いたレポートは詰めが甘い」、それを「砂糖の手づかみ」と いう言い方をして叱ります。
 松竹新喜劇で藤山寛美さんが元気な頃は、よく舞台の上でそのような言い回しを使っていました。何かちょっと失敗をして舞 台の袖に去っていくような人に寛美さんが「なんやお前は貧乏稲荷やなぁ」と声を掛けます。言われた方は「貧乏稲荷って?」 と問い返しますと、寛美さんが「取り柄が無い言うとんねん」と言います。つまり、貧乏のお稲荷さんで鳥居がない、取り柄が 無い、とを引っ掛けているのです。それをいきなり「お前は取り柄の無い人間や」という言い方はしないで、ちょっと間接的に 「貧乏稲荷やなぁ」と、こういう言い方をしたりします。
 このような言い回しは、大阪の漫才でも気をつけていましたらよく出てきます。有名なのは、今くるよさんがよく言われるの は「夏の火鉢やなぁ」という言い方です。女性が「夏の火鉢やなぁ」と言われたらカッときます。なぜ夏の火鉢なのでしょうか。 つまり、夏の火鉢は誰も手を出さない、あんたには誰も手出さん、貰い手がないということを言っているのです。いくよ・くる よさん達は、そういう掛け合いをします。言われたら言われたで、またそれを跳ね返すのです。「そない言うあんたは、枯れた 紅葉やなぁ」と切り返します。枯れた紅葉とは、つまり「もう色づかん、言うてんねん」と、いうように掛け合いが続きます。
 そういう言い回しというのは、実に沢山あります。これを採集して辞典にした人がいます。牧村史陽という方で、大阪の郷土 史研究家ですが、「大阪ことば事典」(講談社)というかなり分厚い本が出ています。その中には、巷で使われているシャレ言葉 が採集されていて約300位入っています。読んでいるだけでも面白いです。このように共に笑い合うということがコミュニケー ションの中でとても大事です。
 これが更にグループになりますと、メンバーが共に笑い合うというのも大事です。笑いの感情を共有し合うことで、親密感や 一体感とかが出て来ます。私は最近会社の方に聞いたところ、部単位や課単位の慰安旅行が減ってきた、ということです。皆さ んの会社ではどうでしょうか。この頃は「一泊旅行でどこかに行くか」と言っても、若い子は「そんなの行くの嫌です」とつい て来ません。ですからいつの間にか慰安旅行は中止になったと、そういう方がおられました。一堂に会してアホなことを言って 笑い合う、笑う感情を共有し合う、それが親密感や一体感につながることになります。
 家族になるともっと大事です。親子、兄弟、家族が仲良く、家族としての一体感をどのように持つか、家族が一同で笑い合う、 というのはとても大切です。だんだんとそういう傾向がなくなりつつあるのかな、と残念な気がします。ですから家族で一体感 を持ってどう過ごすのか、これは家族銘々が考え出さないといけません。私の家族も息子二人いて結婚して外に出ていますけれ ども、たまに帰って来て全員が揃うときもあります。それは年末からお正月とか限られてきます。皆が揃った時に一堂に会して 笑い合うようなことは出来ないかなぁ、と私は考えました。ほっておくと皆バラバラです。あっちではゲームをする者、パソコ ンする者、新聞読む者、ゴルフの打ち放しの練習する者、もうバラバラです。折角集まっているのですから、笑い合うことは出 来ないかな、と思いついたのが、餅つきをすることでした。餅つき機はありますが、機械に頼らずにやるのです。餅つきという のは昔からの知恵でしょうか、皆に役割分担があるのです。ですから小さい孫も全員参加出来ます。そして失敗もあります。大 いに失敗して笑い合います。初めてやった我が家の餅つきは大失敗だったのですが、4歳と7歳の孫も嫁も含めて、大笑いをしま した。こんなに笑ったのは、今までになかったのではないか、と思ったほどです。そういうことを上手く家庭で作り出さないと、 ほっておくとばらばらになってゆきかねません。
 大阪の笑いについては、これは私の宣伝になるのですが、「大阪の文化と笑い」という本を関西大学出版部から出していただい たばかりで、これをまた読んでいただけると今日の話の補足になりまして、よくご理解いただけるのではないかな、と思います。 注文していただければ幸いです。


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