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4.知識創造支援環境上のアプリケーション(1)−談話の杜−

     「談話の杜」[15]は、特定多数の人員で構成される集団内における知識の共有と創造を促進支援することを目標として構築したシステムである。このような組織において、ある個人やある「課」・「研究室」などが現在直面している課題について、その解決の糸口となる知識や情報を別の部署や研究室の人員が所有していることがしばしばあることが指摘されている。このため、喫煙所や休憩室などでの雑談的インフォーマルコミュニケーションによる、組織の壁を越えた知識共有が従来から重視されている。近年では、より効率的に人々をこのようなインフォーマルコミュニケーションの場に導くことを目的としたシステムの研究なども為されつつある。しかしながら、たとえ相互に有益な情報を持った者同士が休憩所等で出会ったとしても、お互いに相手が自分に有益な情報を持っているかどうかはわからない。会って、偶然に話をはじめ、さらにお互いにとって有益な情報をもたらす話題に偶然に話が進展して、はじめてこの偶発的対話が有効な知識共有の場として機能する。これはきわめて非効率的であり、実際には埒も無い単なる雑談のみに終わることがほとんどであると思われる。

    図4-1 談話の杜  そこで「談話の杜」では、現在自分が切実に欲している知識や情報は何なのかを、そこに偶然居合わせる人々に積極的に見せるという手段をとる。具体的には以下のようなシステムによってこれを実現する。談話の杜のシステムは、RFID装置、大画面プラズマディスプレイ(PDP)つきパーソナルコンピュータ(以下、PDP-PC)、および要求情報ベースで構成さる。RFID装置は、そのすぐ近傍にあるPDP-PCに接続され、PDP-PCと要求情報ベースはLANを介して接続されている。システム利用者は、まず「自分が今、何について知りたいのか、どんな情報を求めているのか」について要求情報ベースに登録する。たとえば、「官能検査結果の分析方法について詳しい方おられませんか?」あるいは「美味しいラーメン屋さんありませんか?」などである。その上で、利用者はRFIDタグと呼ばれるデバイスを常時携帯する。RFIDタグにはユニークなIDデータが記録されており、PDP-PCに接続されたRFID装置のアンテナ近傍(半径1m程度)まで接近すると、電波によってこのID情報が自動的に読み取られる。読み取ったID情報から現在そのPDP-PCの前に来ている人が誰であるかを判別し、その人が事前に要求情報ベースに登録しておいたデータをPDP上に表示する。この結果、その場に居合わせた人、通りすがりの人がこの表示情報を読むことにより、その人が今何に関する知識や情報を求めているかを知ることができる。

     そこに居合わせた人は、もしその要求に対して答えられる情報をもっていれば、その場で直接話をすることも可能であるし、時間がなくてその場はそのまま通り過ぎたとしても、あとから(そうしてあげようと思えば)連絡を取って話すこともできる。自分自身が直接答えられる情報を持っていなかったとしても、他にその件について詳しい人を知っていれば、その人を紹介することも可能である。また、その場では特に自分には関係ないと思ったとしても、「そういうことを知りたいと思っている人がいた」ということは記憶に残る。後日、なんらかの事情で同じ問題に自分が直面したとき、「そういえばあの時あの人が同じことを考えていた」ことを思い出し、その人を探し出して情報交換などをすることも可能となるだろう。このように、自分が今知りたいことを開示して他者へ見せることにより、同期的・非同期的な知識共有を促進することが可能となると期待される。

     従来から、同じように知識共有を目的として各種のナレッジマネジメントソフト(以下、KMソフト)が開発され、企業などで導入されている。しかし、その運営は現実にはうまくいっていない。その理由は、「知識を持っている者」がその知識を知識ベースに登録しなければならないという、「提供者負担」の構造になっていることがあげられる。知識を持っている者自身は、その情報を提供して得られるメリットがないため、どうしても登録作業を怠ることになる。そこで報奨金などのインセンティブによって情報登録の動機付けを行おうとしている。しかし、本当に積極的に情報登録を促進するほどの額の報奨金が提供されることはなく、このような方法での動機付けは通常うまく機能しない。また、KMソフトでは基本的に自分の「武器」としての貴重な知識を、無条件に構成員全員に対して開示させることになる。これは知識を持つ者に強い抵抗感を感じさせる。一方、談話の杜では、全く逆に「知識を持っていない者」が情報登録の負荷を負う、「受益者負担」の構造になっている。この場合、登録者本人がそもそも強い動機を持っているため、外部からのインセンティブの提供などを行うまでもなく、情報登録が行われることになる。また、情報提供者にとっては、情報提供の手間が無いばかりではなく、「誰に対して情報を提供するか」を自ら選択できる。この結果、無条件な情報開示への抵抗感を払拭できるとともに、自分が提供した情報に対する、感謝という形での明快な反応を得ることができる。このことは、情報提供者側の満足にもつながると思われる。また、たとえば情報を求める者が、自分のウェブページに「〜〜について教えてください!」というような情報を掲載すれば、談話の杜と同じことが実現できるのではないかという議論がありうる。しかし、現実には情報提供者がそのようなページをわざわざ巡回し、日常的に閲覧していることはまず考えられないため、実際にはこの方法は機能しないと考えられる。談話の杜では、単なる「通過」や「休憩」といった日常あたりまえに行っている実世界での行為の中にこのような情報を埋め込むことで、「ついでに」情報を見せてしまうことにより、「わざわざ」情報を見に行かせるという非日常的な手間を解消している。


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