News Letter「ネットワークセキュリティと紛争処理」(7/8)

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2-f. 違法書き込みと公開をされた
 
以上の様なシステム管理というテクニカルな場合とは違いまして、違法書き込みが成された場合とか、違法書き込みが公開される様な場合というのがままあります。 これが先程お話しました掲示板等々の問題もありますし、大学のホームページ、企業のホームページ、企業の掲示板というものも結構出て参りました。 そういう意味ではこのケースだけはどちらかと言うと少し慎重に対応しなければいけないケースだろうと思っています。 場合によっては刑事事件になる危険性すらある、ということであります。 具体的には名誉棄損であるとか業務妨害、あるいは脅迫といった様なことが考えられるわけであります。 それから民事事件としても損害賠償の対象となる可能性があります。

そこで、いくつかの事例を挙げておりますので、お話をしたいと思います。 客観的に見ますと、どう言っても、その書き込みをやった第一次責任者といいますか、一番最初に書き込みをしてそれを公開した人間が刑事責任もしくは民事責任を負うというのは、それは当たり前です。 これはもう当然のことですから、前提に置いておきましょう。 問題は、管理者がそれに対しどう対応したら良いのか、ということであります。 その時にいくつかの判例が出ているわけでありますけれども、管理者としてまず書き込む前にチェックすべきなのかどうか、ある意味では検閲というか審査というか、そういうものをすべきなのかどうかという問題が一つ。 それから、何もしなかった、あるいは、書き込みが告発されたとか、あるいは通知された時に何か対応すべき義務があるのかどうか、という事後的な対策という点が一つ。 恐らくはこういう2つの方向性というのは見ていかなければいけないだろう、と思っています。 アメリカのミレニアム・コピーライト・アクト(新世紀著作権法)というのが98年に出来ましたけれども、その中でプロバイダ(情報の提供場所を準備している管理者)に対して、著作権法の観点からの責任免除規定(責任裏付け規定)がありました。 要するに、当たり前のことですけど、著作権法に違反するコンテンツが挙がっていた場合、その挙がっていたことをプロバイダに通告をするには、権利者でないとダメだという規定になっています。 要するに私の書いたものが私に無断でWebに挙がっていて、私が被害者であり、私は正当な権利者であるということでプロバイダに文句を言う。 プロバイダはその権利関係を明確にしたうえで、それを使って金を儲けていて、事前に認識し、違法性が判った場合には消さなければいけない、という規定があります。 そうすると、そういう要件が無ければ免責されるということになるわけです。これは、著作権の問題について限定されたものでありますので、今後通常の名誉棄損であるとか業務妨害とかいった様なことにどう影響してくるのか、というのはまだ未解決の問題であります。

ここで、ごく簡単にこれまでの判例の流れというのを見てみますと、1番最初に91年、これはBBSの問題でありますけれどもコンピュサーブ事件というものがありました。

ここに書いてある通り、コンピュサーブが何も管理してない、ということであると、それは「見てないからね」ということで免責になりました。

次にプロディジー事件というのは95年に起きたわけですけど、プロディジー社が自ら掲載内容編集して管理する、安全ですよ、ということを言ってしまったわけです。 そうしますと、「大丈夫ですよ、私が管理していますよ」と言ったばかりに、コントロールしているはずだ、コントロールする義務がある、ということになり、編集責任というのが出てくるということで、編集者としての責任というのが認められたというケースでありました。

ちょっと飛ばして頂いて、ニフティ事件というのが有名な事件でございます。 電子会議室の中での発言内容について名誉棄損に該当するのではないか、そうしたことについてどうするのか、という議論でありました。 一般論として監視義務とか削除義務というのは無いということを一般的な議論として言いました。 ものすごい数の書き込み、あるいは、掲示あるいはホームページ、これらを全部監視しなければならないと言ったら大変なことになるわけで、こんなことしなくて良い、と言いました。 しかし、Niftyのシスオペがそうした違法事実を知りつつ、手をこまねいたこと自体に対して、条理上の作為義務が生じるのではないか、という議論が行われました。 これは大変面白い議論です。 どういう事かと言うと、一般的に何もしなくて良い、そして何らかの権利者からアクセスがあった場合、それに対して、コンテンツを消さなければいけないと言っているわけではなく、何らかの対応しているか、という言い方でした。 その時に何らかの対応の中身が、掲示はしているけれども被害を申告した人と書き込んだ人を合わせるとか、話し合いの仲介の労をとっていたという事実があった場合には、これは出来るべきことをやっているから問題ないということで、5つ位訴えの中で、訴訟の対象物になったのですが、4つ位がそういう話しで全部終わりました。 1つだけ残ったのが、いくらクレーム言っても完全に無視して何も対応しなかった。 で、シスオペはそれが表現の自由だと信じて今でも戦っておられる訳ですけれども、裁判所的に言いますと、被害者が「被害だ、被害だ」と言ってるわけですから、それは何らかの形で場を設定するなり、話し合いをするなり、両者のメールをやり取りをされるなり、何か対応が出来たんじゃなかろうか、というのが裁判所の考え方だったわけです。 そういう意味では、常識的な対応をしたかどうか、消えてる/消えてないというメルクマールでは無く、対応していたかしていなかったか、というところで、責任落としています。 これが一つの論点です。

もう一つは、非常に面白いのですが、被害を訴えている人というのは、必ずしもNiftyの会員かどうかは判らない。 書き込みしたのはNiftyの会員だろうけれども、シスオペが本当にそれを消すべき理由があるのかどうか、会員外の人の権利を守るべき法的地位にあるのかどうか、ということですが、民事責任というのは基本的に契約責任があります。 ところが、会員外の人とは契約ありませんから何の責任も法律関係無いわけです。 そうすると不法行為しか無いわけです。 シスオペが黙っているということは不法行為を助長しているのか。 不法行為を助長しているということになると、一つ目の問題の監視義務が出てきてしまいますので、それは無いと言うことです。 ここである種の理論矛盾に漂着したわけです。 そこで裁判所はウルトラCを使ったわけです。 どういうことをやったかと言うと、電車があっちから走ってくる、私と鉄道会社は何の契約関係も無い。 しかし、電車がもうちょっと進むと線路の上に石ころが置いてある。 この石ころに躓いたら電車転倒してしまう。 そうすると、これは当然どかすべきで、自分で石を置いたら"往来危険汽車転覆罪"で大変な犯罪になるわけです。 ところが、自分で置いた訳じゃない。 人が置いた石をどかすかどうかと言うことですが、たまたまそこでチラッと見て、「石が置いてあるなー。石はどかした方がいいんじゃないかなー。」と、電車があっちからどうも来ているぞ、これは大変なことだからどかそうかな、と思う。 しかし自分が轢かれたら怖いな、とか色々逡巡するわけです。 その時の私の地位が条理上だと裁判所は説明するわけです。 要するに法律的にハッキリ書いているわけでも契約のものでも無い、しかし、あなたには他の人の権利を守る常識的な・社会倫理規範的な、そういう地位がありますよ。 これと似た様なものが、恐らく皆さんにあるのだということだと思います。 そうしますと、条理上ということで言うと、クレームが飛んできたら、そのクレームに対して的確に反応して頂きたい。 但し、クレームがあったから直ちに消す、ということになると、クレームを言うことによって、全部消えてしまうという安易な流れが出てきます。 そうすると、表現行為に対するチリング・イフェクトという萎縮効果が出てきてしまうので、これは裁判所としては嫌なのです。 ですから、常にこう何かをしなさい、しなかったら違法ですよ、という言い方はしない。 文句があったら、その人を聞いて、書いた人と会わせてあげるとか、ある種の情報交流をしてあげるという様なことはしてあげるべきなのだろう、ということであります。 その辺りをちょっとご注意頂きたい、ということであります。

これを前提に考えてみますと、都立大学事件というのは99年9月にあったわけでありますけれども、大学内ネットワークのホームページに名誉棄損を内容とする書き込みがあった場合、被害者に対してこれを保護すべき法的義務が存在するかについて、一般的なそういう法的地位というのは無い、ということになったわけです。 ここからが問題なのですが、その内容を知って、明白に名誉棄損に当たる、被害が甚大である、加害者の行為が悪質である、という場合に限って、言ってみれば、犯罪行為が目の前で行われている時に、窮迫不正の侵害がまさに目の前で行われているのにお前ほっておいていいのか、こういう感じで、極めて例外的なケースに、大学の責任が肯定される、と言うものであり、本件の事件では、大学の責任は否定された、ということがありました。 従って、大学当局としては、表現の自由はどこまでか、というギリギリの悩みは持つだろう、と思います。 そういう意味では、ここに書いた様な被害、それから悪質さ、ということを自主的に判断して頂く、ということになるのではないでしょうか。

最後になりますが、ゼラン事件というが上から3つ目の判例に出て参りました。 問題発言があった場合、損害賠償を避けるために、表現を削除する方向となる可能性がある。 この方向では表現の萎縮効果をもたらすことになるため、Distributor(運搬者あるいは場所の提供者)としての、責任というのもどうだろうか、させるべきではないのではないか、という流れが出てきていると指摘しています。 そうしますと、今までどちらかと言うと我が国でも条理上の責任ということで何らかの管理責任を認めるという方向を取っておりましたけれども、表現のチリング・イフェクトということを考えると、あまりそれを乱発しますと表現行為が萎縮してしまう危険もある、ということでこれは少し押さえ気味にコントロールをしていこうという流れが出てきている様だ、ということであります。 しかし、そうは言っても無責任で良いということではありません。 ある程度の責任が出てくるというのはある、と思います。

©Jiro Makino 2001

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