[目次] [1ページ目に戻る] [前ページ] [次ページ] [質疑応答]


(3/24)
3.オープン化を考えたUNIX文化の注入

 長崎大学には1988年4月に省令施設の総合情報処理センターが設置され、翌年4月の機器調達において、増額された予算によりUNIXシステムの一部導入を行った。ホストコンピュータとして導入した汎用機「M-760/30」では、AVM環境の元に、MSPとUTS/Mを稼働させると共に、UNIXワークステーション5台を使った実験システムを稼動させた。そして、この時期にセンター運用に必要な資源や課金関連のノウハウ蓄積とセンターシステム管理運用担当者のスキル向上を図った。また、他大学では光ファイバーケーブルを布設した独自のネットワーク構築が行われていたが、ディジタル交換機を使ったネットワークの構築を行った。これは、電話回線を利用した音声とデータ通信の同時利用をユーザの軽い経費負担で実現させるためのものであり、現在のキャンパス情報ネットワークの構築状況からして、余計なケーブル布設をせずに済んだので正解だったと思う。
 1993年1月のシステム更新においては、ホストコンピュータ「VP1200」によるMSPでのサービスを継続したが、Sunワークステーションも大量に導入し、アプリケーション、フリーソフトの利用、各学部へのサテライト利用、X端末を使ったWindow環境での教育など本格的な利用の推進を啓蒙していった。
 1994年度には、FDDIを中心にした学内LANが補正予算として付いた。このタイミングでサーバ環境の充足やレンタル機器の見直しによるX端末教室の増設を行ったことでUNIX利用環境の充実と利用促進に弾みがついた。そして、この4年間で、MSPのTSS、プログラミング言語教育中心の情報処理教育は減少し、最後の1年間は、教育環境でのMSP利用は無くなっていた。  1996年度には、ATM-LANの構築を行い、支線LAN環境の整備を推進するとともに機器のリプレースを実施した。


[目次] [1ページ目に戻る] [前ページ] [次ページ] [質疑応答]