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4.能力の開発

 しかしその能力は眠っているわけですから、開発されないと表に出て来ません。ではどうして開発されるのかというと、 まずは生まれ出て最初に出会う親、つまり家庭に関係していると思います。先ずは、赤ちゃんが新生児微笑でニコッとし たら、それを見つけた親は「笑った、笑った」と喜びます。
 私は自分の息子を二人育てたのですが、残念ながら息子の時には気が付きませんでした。若い時というのは忙しいです から子供の顔をじっくりと見つめる時間が持てなかったのかも知れませんが、気がつかなかったのです。孫が出来まして、 孫で確かめてみたいと思い、病院に出来る限り出かけました。そこで私は4日目に孫のなんとも言えないニコッとする顔 を見ることが出来ました。私は思わず「笑った、笑った!」と言って感動していました。母親も「笑った、笑った」と大 喜びでした。少し日が経ちますと、赤ちゃんのニコッとした顔見たさに、ニコッとして話しかけます。赤ちゃんとの関係、 あやしたりあやされたりしながら、その笑いの能力は開発されていくのではないかと思います。ですからもし親が赤ちゃん の笑いに無関心で、笑おうと笑うまいと関係ない、というようであれば、その能力はかなり眠ったままになってしまうの ではないかと思います。私たちの周りを見回しても笑顔が大変豊かな人、あまりない人とか、よく笑う人笑わない人、色々 個人差が沢山あります。それは、基本的には赤ちゃん時代に親との作用反作用という関係の中で、どれだけ笑う能力が開 発されたかどうか、その辺りが関わってきているのではないかな、と思います。
 それから相互作用で言えば、教育の環境も大きいでしょう。学校の先生からどう言われるかで大きく変わると思います。 皆を笑わせたら、君がいるといつも騒がしい、やかましい、といつも叱られて押さえつけられるか、あるいはその子供の 言った面白い言葉を受け止めてくれて、君は面白いことを言うね、とうまく受け止めてその笑いを使ってクラス全体を明 るくしてみせる先生も居るでしょう。ですから先生が笑いに対してどのような考え方を持っているかということはかなり 重要なことと思います。
 ねじめ正一さんという有名な詩人がおられますが、ねじめさんとはたまたま講演で同席したことがありまして、いつか らそういう詩人になろうと思ったのですか、と聞いてみました。ねじめさんは、小学校の時から言葉遊びが好きでした、 というのです。シャレ言葉を作っては遊んでいたというのです。小学校の4,5年頃には学校に毎日新しいシャレを作って持 って行ってたそうです。あるとき先生は「ねじめ君は面白い言葉を作って持ってくる、皆に聞かしてあげよう」と、先生 の授業で最後の5分間位をねじめ君に与えてくれたそうです。皆の前で、作ってきたシャレを披露して皆を笑わせる、とい うことをさせてくれたそうです。
 それから中学校に進まれたら、学級日誌を書かなければいけない日があり、順番で日誌を書くのですが、ねじめさんは それをシャレづくしで書いたそうです。なかなかシャレづくしで書くのは難しいと思いますが、シャレづくしで日誌を書 いて出したそうです。その場合、それを読んだ先生によって対応が分かれると思います。「なんてふざけた書き方して! もっと真面目に書け!」と怒る先生も居るかも知れません。しかし、ねじめさんの習った先生は、それを読んで「これは面 白い」と評価してくれたそうです。それで「君は詩を書いてくるように」と言われたと言います、それから詩を書くこと を覚えたということでした。このように先生がどう受けとめてくれるか、普通であれば「なんだ、このふざけた書き方!」 と叱る先生もいるかと思いますが、そういった教育環境も随分と影響するのではないかと思います。
 なんと言いましても自分達が生きている時代と社会の影響というのは大きいと思います。 国民に絶えず緊張を強いる ような時代においては、笑いは評価されません。今で言えば独裁国、例えば北朝鮮などはそうでしょう。常に緊張を強い られる、休まる間がないのではないでしょうか。日本も明治維新以来、とにかく欧米に追いつけ追い越せ、働け働けと緊 張を強いられ、真面目に真面目にと追い立てられました。当然、笑いというのは評価されませんでした。笑っていると遊 んでいる、ふざけている、そういう受け取り方をされてしまいます。戦後になりましても焼け跡からスタートしましたの で、働け働け、欧米に追いつけ追い越せ、真面目に真面目に、と追い立てられました。そういうところでは笑いは正当に 評価されません。笑ったとしても、それはたまたまレクリエーションという形で認めるという程度で、積極的に笑いを評 価するということにはなりませんでした。このように、笑いに対する考え方というのは、かなり時代によって影響を受け ます。
 それから社会の構造によってもかなり影響を受けると思います。よく日本では、サムライ社会と商人社会というのが対 比されますが、それは江戸と大阪ということです。サムライ社会というのは縦型の社会、とにかく縦軸が通っている、身 分や格式などの階級がピシッと決まっている、そういう縦軸を軸にした社会です。商人社会の場合、もちろん縦軸はあり ますが、商売人というのはどちらかと言うと横が大事です。横へ横へと人間関係を広げ、信用を得て商売をしていく、そ ういう暮らしをします。対比しますと、縦型と横型という社会の構造の違いがあります。縦型社会では、笑いは抑制され ますし、横型社会では、笑いは奨励されます。日本全体においては、笑いを抑制する傾向がずっと尾を引いてきたと思い ます。
 今日の大阪では「お笑い」が盛んです。今に始まったことではありません。こんな街はないのではないかと思います。 吉本興業というのは有名ですから皆さんご存知でしょうけれども、興行会社として90年近くの歴史があります。お笑いを 目指す若いタレントがどれだけ集まっているかと言えば、数え切れないと言ってもよいぐらいです。吉本は、学校を持っ ていますが、生徒だけでも600人位はおり、予備軍を入れますと大変な数になります。これほどに、若者がお笑いを目指 して集まっている街というのは他に無いと思います。そういう人たちが不思議と出て来ます。誰もが誰も立派なプロにな れるわけではありません。途中で消えていくのですが、しかし次から次へと沸いて出てくるかのようにそういう候補が生 まれてきます。大阪というのは本当にユニークな街です。こういう笑いが盛んになったのもやはり大阪の人々の毎日の生 活の中に笑いがあるからだと思います。そのように社会がどんな構造のあり方をするかによって、笑いに対する考え方も 随分と違ってきます。


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