[目次] [1ページ目] [前ページ] [次ページ]
( 2 / 10 )

2.笑う門に福来る

 私たちは日常的になんとなく笑っています。笑う門に福来る、という言い方をしてきました。 いつからそう言ってきたの かは分からないのですが、笑いというのは良いものだ、健康にも良い、笑う門に福来る、という言い方をしてきました。 しかし何故「福が来る」のかということは難しい問題です。
 そのようなところから話を始めさせて頂きます。「笑い講」というのを聞かれたことのある人もおられるかと思います。 山口県防府市に小俣地区というところがありまして、そこに笑い講というのが組織されています。これは鎌倉時代から始まり、 恐らく800年以上続いている、そういう講だそうです。21組の講が年に一度、12月の第一日曜日に集まって一斉に皆お腹抱え てワハハと笑うことをするのです。それも一つの神事で、神棚から榊を下ろして、榊を順番に廻しながら、榊が廻ってきたら 3回大笑いしなければならない、ワハハと腹から笑わないといけないのです。判定する人がいまして、一番の長老が「あなた の笑い方は足りない」と言えばやりなおしです。とにかくお腹一杯笑わないといけない、ということです。最初の笑いは、今 年は豊作がもたらされて有難かった、という神への感謝で、ワハハと笑います。二度目は、来年もまた豊作がもたらされるよ うに、幸せがやってくるようにと、ワハハと笑います。三度目は今年一年あった憂さ、嫌なこと、苦しいこと等、それらを笑 い飛ばそうということで大いに笑います。 そして皆がとにかく大笑いせねばならないのです。
 こういう事を800年、世代から世代に伝えて残ったというところが私は凄いなぁと思います。そのようなものは誰かが、アホ らしい、そんなことしていて何が幸せがやってくるんだ、などと思ったら途絶えてしまいます。理屈はよく分かりませんが、 そのような行事をずっと続けてきたことにより、その村としては良かったのだと思います。 笑っているというのは、笑ってい る本人もまた楽しくなってくるということがあると思います。これは日本人の古い信仰でしょうか。笑うと神様が笑ってくれる、 神様が笑ってくれると幸せがもたらされる、というような信仰なのでしょう。そのようなことが今日まで伝えられて来ています。 その他にも日本には笑う神社というものもあります。神社に笑うご神体を祭って、神様に笑って頂こう、こういう信仰が生きて いるところがまだまだあるのです。やはり日本人の中に神が笑うと幸せが来るという信仰があるのかな、という気が致します。
 笑うととても良いということが昔話や民話など色々な物語の中にも伝えられてきています。色々とありますが、一つだけご 紹介しますと、日本昔話の中に「仏頂さん」という話があります。ご存じの方もおられると思いますが、あるお嫁さんが結婚し たのだけれども自分の亭主が笑わない、とにかくニコッともしません。そういう人と毎日暮らさないといけないのは、お嫁さん としてはシンドイわけです。亭主は病気ではないかということで、物知りの和尚さんのところにどうしたら笑ってくれるだろう か、と相談に行きました。すると紅葉の根っ子のところに生えている笑い茸を取って酒に浸して飲ませなさい、と教えを受け、 その通りにして亭主に笑い茸を浸した酒を飲ませました。そうすると飲むほどに笑いがでてきたのです。
これは生理学的な根拠があるらしいです。 笑い茸というのは、飲んだら神経を刺激して笑いが出てくるそうです。 これを私の友人で実践した人がいるのです。本当に笑えてくるから危ないからやったらいかんよ、と注意を受けました。
 さて、そのようにして亭主にお酒を飲ませました。亭主はお酒を飲みながら「そんなもの笑えるか!」と笑いをバカにしているの ですが、飲むほどに笑いが出てくるのです。 ついにワハハと笑ってしまうのです。それを見てお嫁さんもワハハと笑う、夫婦揃って 大いに笑いあってその後は仲が上手くいった、というお話しです。
 これなどは現代にもあるような気が致します。よく私が聞くのは、定年後毎日が日曜日で家にいるご亭主が笑わない、非常に顔 が気難しい、笑顔もあまりない、そういう旦那さんとお付き合いする奥さんは大変です。日本笑い学会のメンバーの方でしたが、 「うちの亭主はどうしたら笑ってくれるだろうか、良い知恵はないか」という相談を受けたことがあります。そういうことは実際 に起こっていると思います。 共に笑い合えると、また今までと違った空気が生まれるということがあると思うのです。このように、 笑うということは良いものとして伝えられて来ました。


[目次] [1ページ目] [前ページ] [次ページ]