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6.笑いとストレス

 この頃は、子供の不登校でお困りの方も多いです。自分の子供がとにかく学校に行ってくれない、先生はもちろん周りの人に 相談してもダメ、どうしたらよいものかと悩んでいる親の話をよく聞きます。
 私の友人の話ですが、徳島の中学生の子が不登校になり、色々なところに相談するのですが、上手く行かず、子供は家の中に こもって暗く、もちろん笑顔も笑いも何もない、家全体が暗い、何とかしたい、と言って大阪の友達に電話をして来ました。 すると大阪の友達は「そんなんやったら大阪のなんばグランド花月に連れて行って笑わせ、笑わせ」と言ったそうです。そこで その親父さんは中学の子供を連れて吉本に行きました。舞台はまぁそこそこ面白いことをやりますので、息子が舞台見ながら笑 い出しました。家ではめったに笑わないのが、とにかく笑い出したのです。親父さんはそれでホッとして連れて帰りました。 連れて帰って暫くしたら大阪の友人のところに電話があり「訳が分からないけれども、とにかく学校に行くようになった」とい うことでした。これなどは、その少年の中でどんな変化が起こったのか、これはよく分からないですが、笑う前の状態と何か笑っ てみた後の状態で、多少変化が起こったのだとは言えるのではないでしょうか。しかし、どのようにその変化が起こったのか、 そのメカニズムはなかなか解けませんが、結果的には何かが起こったということです。
 もう一つ同じような話で私が感動した話があります。阪神淡路大震災は6000人もの方が亡くなったのですから大変な大惨事 でした。小学校や体育館に、身内が亡くなったり、あるいは、家が全焼など、そういう方々がとにかく避難されていました。 ミュージシャンやお笑いタレントなど、色々な方々が現地に入りました。大阪からも励ましに行こうと、お笑いタレントが入 りました。その時のお笑いタレントの中には、自分達も家が半壊や全焼など被害を受けた人も居ました。お笑いタレント達は、 元気をつけて頂こう、ということで体育館などに実際に行ったのです。しかしそんな体育館でお笑いをやらせてもらえるだろ うか、という心配がありました。笑っている場合じゃない、というのが一般的な感覚でしょう。ところが思い切って行てみた ところ、やらせてもらえたのです。どんなことで笑わせたのかと、一つ教えてもらった話があります。まず最初に「阪神淡路 大震災とかけて、大相撲の千秋楽の優勝と解く、その心は、 全勝(全焼)しましたーっ!」と切り出したそうです。家が丸焼 けになった人が目の前に沢山にいるのですが、それで笑いが起こったというのです。  そこから話に入って、かなり笑っていただいて、帰りがけには皆からものすごく感謝されたそうです。「おおきに、おおき に、笑わせてくれておおきに」と皆さんが帰りがけに声を掛けてくれたそうです。その中に昼間から酒ばかり飲んでいるおっ ちゃんが居ました。その酒臭いおっちゃんが寄って来て「よー笑わしてくれた、おおきに、酒ばかり飲んでる場合やないな」 と言ってくれたそうです。失うものは皆失った、もうどうしようもない、酒でも飲まずにはおれない、それが笑うことによっ て、酒ばかり飲んでいる場合ではない、というところに気がつく。笑ったことで何か変化が起こったのではないかと思います。
 笑う前と笑った後では、多少変化が起こっていることの表れではないかと思います。 実際、笑うという行為は、息を吐き、 ワハハと緊張が取れていきます。笑っている間は本当に何も考えない、何か考えたら笑いは止まります。 まして不愉快な事 が浮かんだら笑いは消えます。舞台を見てワハハと笑っている時に、借金取りが追いかけてくるとか、あるいはイジメる少年 の顔が浮かぶとか、そんなことがあったら笑えません。ですから、笑うという行為はそういう自分を空しくする、笑っている 最中は笑っているだけで他のことは何も考えない、そういう時間を与えてくれるのです。私はそこが非常に良かったのではな いかという気がします。
 そのように凝り固まっている観念、取り付かれている観念、そういうものから心を開放してくれる、こういう作用が笑いに はあるのではないかと思います。大阪の商売人は、不景気で困り果てた時、困り果てて困り果ててどうしようもない時、最後 に言う言葉は「笑わなしゃぁないなぁ」です。 そこから立ち上がるのでしょう。大いに笑う前と後とでは、違った自分になれ るということは、私も確認しておきたいと思います。


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