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5.笑いと健康

 笑いは元気に生きることに関係あるという話をしましたけれども、これが最近徐々に証明されてきています。笑いが健康に寄 与することを医学的に問題提起したのがノーマン・カズンズという人で、アメリカの有名なジャーナリストです。もう亡くなり ましたが、49歳の時に膠原病に罹りました。医者に相談するのですが、死の宣告を受けたようなもので、治る確立は500分の1程 度とか、特別な治療法はないとか、言い渡されます。ノーマン・カズンズはジャーナリストであり、「サタデー・レビュー」と いう編集長をしていたのですが、随分と自分で論文を読み漁ったようで、その中でヒントを掴みます。一つはビタミンCの大量療 法です。膠原病は、ビタミンCが欠乏してくるというのは事実です。しかしそれを大量に摂るというのが良いということを書いた 論文があったのでしょう。それは一つのヒントでした。もちろん主治医と相談しながらですが、ビタミンCの大量療法は実際に実 行しました。
 そしてもう一つは笑うことが良いらしい、ということでした。これについてもそのような論文があったのでしょう。しかし理 屈は分かりません。ノーマン・カズンズは実践に取り入れることにしました。病院では大いに笑うのは難しいので、看護婦さん についてもらってホテルに移り、ホテルで治療に励みました。昔自分が見て大いに笑った映画、特にマルクス兄弟の無声映画が 好きだったようで、それを見たらものすごく笑う、そういう見て笑える映画とかテレビの番組とかを取り寄せて見ました。それ から小噺の類や、読んで面白い本なども取り寄せて笑いに励みました。そしてその記録を取って行きました。睡眠薬や痛み止め を飲まないと痛いらしく、寝るときが大変らしいのです。今日は10分間大笑いした、そうするとその晩は2時間ばかり痛み止めも 睡眠薬も飲まなくても眠れた、ということが出てくるのです。そういう記録を取って行くのです。それから笑う前と後に血沈を 計っておいて、これだけ差があったとか、そういう記録を取っていきました。結果として彼は膠原病を克服してしまったのです。
 その闘病記、自分の体験記を1979年に本にして出しました。この本が賛否両論で、随分評判になったそうです。というのは、 笑ってそんな効果出るはずないではないか、という意見を言う人もいれば、それはあるかも知れない、という後押しをしてくれ る意見もあったそうです。
 ノーマン・カズンズは、その本を書いた時には、笑ったら体内でどういう変化が起こるのか、そこはまだ分かりませんでした。 ノーマン・カズンズの考え方は、しんどい、苦しい、嫌なこと、そういうネガティブな感情を持つと必ず人間の身体にはネガティ ブな生理的反応が出てくるということです。例えば自律神経が侵される、胃潰瘍になる、それは私たちも経験しております。辛く ても休む間もなく無理してストレスが溜まってくる、そうするとどこか調子がおかしくなってくるということは経験的に分かりま す。そして、医者に行く、薬を飲む、ということをします。ノーマン・カズンズは、その反対もあるに違いない、と考えたのです。 つまりポジティブな感情を持つ、嬉しい、楽しい、ヤッター、成功した、やり遂げた、そういう積極的な気持ちを持つとポジティ ブな生理的反応が出てくるに違いないということです。それは免疫系に出てくるのか、内分泌系に出てくるのか、それはよく分か らないのですが、とにかくポジティブな反応が出てくるに違いないと、考えたのです。
 その考え方に基づいて彼は治療に励みました。その結果、難病と言われていた膠原病を克服してしまったのです。こういうこと があって、だんだんと、ポジティブな感情を持ち続けるとポジティブな生理的反応が出てくるということが知られるようになりま した。私も考え方として理にかなっていると思います。その後これを証明しようという方々が出てきました。
 日本で有名になりましたのは、倉敷市の伊丹仁朗先生という医師の実験です。主としてガン患者さんを診ておられ、末期ガンの 方々も診ておられる方です。ガン細胞が繁殖すると、免疫が落ちてくる、特にNK細胞(ナチュラルキラー細胞)の活性が落ちてくる。 そういうことは分かっているんだそうです。ここでお断りしておかないといけませんが、私は医学のことは門外漢なので、専ら笑 い学会の会員の専門の方々から教えていただいております。
 伊丹先生は、笑ったらNK細胞がどう影響を受けるのかについて調べてみようと思い立ちます。ところが、患者さんを笑わせるの は難しいものです。先生が笑わせるわけにもいきません。どのようにしたら患者さんを笑わせられるか。そこで吉本興業の協力を 得て、大阪の「なんばグランド花月」に連れて行って3時間程その舞台を観て患者さんに大いに笑って頂く、ということをしました。 もちろん個人差があります。ワ〜ッと大いに笑う人や笑いの少ない人もいます。笑う前に血液を採取し、大いに笑った後で再度血 液を採取し、そしてNK細胞の数をカウントするというやり方です。NK細胞の正常値というのがありますが、元々ガン患者の方です から活性度が低い訳です。笑ったらNK細胞がどこまで正常値に近づくか、ということです。結果は、大いに笑った後のNK細胞は、 全員が正常値の範囲に入ってしまいました。もちろん上がり方の大きい人少ない人はいますが、NK細胞が活性化したというデータ を発表されたのです。結果は、もちろん医学の学会誌にも発表されました。伊丹先生の実験の後追い調査した先生も出てきますが、 大いに笑うと確かにNK細胞は活性化するそうです。現在は、ワハハと大いに笑うと、このNK細胞は活性化するということは定説に なったようです。私は今ではそれを信用して、調子が悪い時は笑わないといけないな、と思うようにしています。
 それからもう一つ有名なのは、日本医科大学リュウマチ科の吉野槙一先生の実験です。慢性関節リュウマチ炎の方は相当痛いそ うです。ですから治療は、痛みを止める、緩和する、そういう注射をするということなのでしょう。リュウマチの痛みを走らせる 物質は分かっていて、インターロイキン6という物質なんだそうです。この値と笑いとの関係を調べられたんです。これも笑う前と 後とでデータを取ります。しかし患者さんを笑わせるのはやはり難しいです。そこで吉野先生は落語家の林家木久蔵さんを病院に 呼んできて、寄席をしつらえて、そこで1時間ばかり林家木久蔵さんに面白い話をしてもらうことにしました。患者さんにワーッ と笑って頂くということをしました。その結果、インターロイキン6は、大いに笑った後では患者さんの皆が半分以下になってい ました。人によっては3分の1位までになっていた人もいました。リュウマチ科の専門の先生がその結果を見て、笑うとこんなに効 果があったのか、と驚かれたと言います。今までは分からなかったのです。 私たちは知らなかっただけのことで、専門の医師もそ ういう研究をしてこなかったから分からなかっただけのことです。何となく笑うと良いらしいと思っておられたわけでしょうけれ ども、証明していなかっただけなのです。 そういう証明を吉野先生がされたという次第です。
 それから最近ですと、日本笑い学会は今年名古屋の金城学院大学で年次大会を開催したのですが、研究発表の中にアトピー性皮 膚炎と笑いとの関係で発表する先生がおられました。これは宇治にあります武田病院のアレルギー科の部長さんなのですが、次の ような発表をされました。治療に当たりながら、笑いのある患者さん、笑いのない患者さんに分けるのです。笑いのある患者さんは 回復過程が早く、非常に暗くて笑顔に乏しく笑わない、先生が冗談を言ってもあまり笑わない、そういう笑いの乏しい患者さんは回 復が遅れる、というような発表でした。なぜかということはまだ解明されていませんが、そのような研究発表をなさった先生がい ました。
 それからもう一つ最近で注目すべきことは、村上和男先生という方が書かれた「命のバカ力」(新潮社)という本です。村上和男 さんという方は、ご存知かも知れませんが、筑波大学の名誉教授で、遺伝子研究で有名な先生として私は聞いております。この先生 を先の日本笑い学会のゲストとしてお招きして、糖尿病患者の血糖値と笑いとの関係についての実験結果を聞かせてもらいました (詳細は本の方に書かれています)。今年の1月に、そういう研究目的で、患者さん25人を対象に2日間かけて実験をされました。
1日目は正午に500Kcalの食事を一斉にして頂き、その後50分間糖尿病についての辛気臭い、大学でやっているような講義を聞い てもらいました。もちろん血糖値は食事の前に測っておき、講義を聞いた後でまた測ってもらいます。2日目も正午に同じく500Kcal の同じ食事をしてもらい、但し2日目は退屈な講義ではなく、漫才を聞いてもらいました。ところが患者さん25人だけの前で漫才しても らってもなかなか笑ってもらえません。そこで村上先生は1000人程入るホールを用意されて、そこに漫才師のB&Bが来るという宣伝を してお客さんを沢山集めました。これも吉本興業の協力です。1000人程集めたそのホールでB&Bが漫才をしました。その中に患者さん も紛れ込んでもらいました。そうするとB&Bも溢れ返る会場でものすごくハッスルして大いに笑わせたということです。ワイワイ会場 が沸いたということです。その中に混じって患者さんも大いに笑い、その後また血糖値を測りました。前日の講義を聞いた後で測って もらった血糖値は122mg上昇し、漫才の後だと77mgしか上昇していませんでした。結局45mgの差があったということです。その45mg の差はどうして起こったのかということです。
 村上先生はこれに注目します。実際に糖尿病の専門医にも聞くと、45ミリグラムもの差が出ることは非常に医学的には大きい、何か が働かないとそういう結果は出ないであろう、ということでした。そこで村上先生は、「何かが」というところは遺伝子と関係がある のではないかと考えました。私も遺伝子のことよく分からないのですが、遺伝子というのは眠っている遺伝子が大半で、遺伝子は何か の刺激でON/OFFという形で切り替わるそうです。人間の血糖値というのは血液中のグルコースが血糖として計られるわけですが、普通 健康な状態だとグルコースの値は一定に保たれます。どうして一定に保たれているかと言うと、タンパク質が色々と関わるのですが、 その大元は遺伝子のON/OFFだそうです。笑った後では45mgしか上がってないというのは、これは眠っていた遺伝子が目覚め、たんぱく 質が分泌してという、そういう結果ではないかというわけです。
 近年の遺伝子研究というのは、DNAチップとか、私にはよくわかりませんが、何か非常に調べやすい技術が開発されてきているそう です。現在村上先生はそのDNAチップを使って、何千種類かの遺伝子を乗せてどういう刺激があったらどういう反応を示すか、という ことを調べているそうです。これが進んで行くと、笑うとどういう遺伝子が目覚めてくれるのか、ここのところが突き止められるかも 知れないということを本の中でもお書きになっています。
 笑うと健康に良いとか、なんとなく私たちは思って来ているのですが、笑うことが遺伝子を起き上がらせる、目覚めさせる、そんな 力として働き、それが良い方向に働いているということが分かれば、すごい発見ではないでしょうか。やはり笑いというのは人間の 存在そのものに深く関わっていることなのかな、と思います。しかしまだまだここのところは分からないことが多いのです。私たち は村上先生の研究に期待をかけ、成果をたのしみにしているところです。
 それからもう一つ笑いで非常に不思議な例をお話します。淀川キリスト教病院というのが大阪にあるのですが、そこで初めてホス ピス科というのを開設された柏木哲夫先生という方がいらっしゃいます。この方がホスピス科で患者さんの面倒を見ていた時の話で す。ホスピス科というのはターミナルケアで、あと半年とか1年とか非常に限られた命をどう過ごすか、そういう人たちを預かって 過ごして頂く施設です。この面倒を診てこられた柏木哲夫先生がこういうことを書いておられます。
 末期ガンの患者さんの部屋では、訪ねて行っても笑いがなく、部屋は明るくないのが普通です。喉頭ガンで入ってこられたご婦人 がおられ、旦那さんが付き添いで、夫婦でおられたのですが、笑いがあるという状態ではありませんでした。柏木先生は川柳がとて も大好きな先生で、湿っぽい部屋をなんとか明るくしたいと思っておられます。ですからちょっとでも患者さんが笑ってくれたらと いうことで努めて冗談を言う先生なのです。先生は、その喉頭ガンの患者さんに「あなたの喉をもし通るとしたら何を食べたいです か?」と聞いたところ、「マグロのトロが食べたいです」と返ってきました。「じゃぁあなたの喉をトロがトロトロと通ると良いの にねぇ」とちょっとしたシャレを言われたのです。そうしたら横にいた付き添いの旦那さんも冗談好きなのか「私もトロい人間です がトロくらいならすぐに買いに行けまっせ」とのってきました。そしたら患者さんもそれにのって「私もトロトロと毎日眠ってない で頑張らないけませんね」と言葉を交わしてきました。そうするとその病室で、マグロの「トロ」と「トロトロと」とのシャレで笑 いが起こったのです。今までになかった笑いが病室に起こったのです。
 その場はそれで終わり、次の日先生がその患者さんのところに行くと「先生、トロが2切れも喉を通りました、吐いてません」と 言うのです。不思議なことです。水を飲んでも吐くのに、その間何の治療もしていません。しかしトロが2切れも喉を通って吐いて もいないというのです。これはいったいどういうことか、と柏木先生は不思議に思うのです。これは何故かはよく分からないので すが、そういうことが起こったということは事実でした。
 やはり笑ったということで何かが起こったのでしょう。神経系に何が起こったのか、よく分かりませんけれども、何かが起こった に違いないと思います。そこの説明はつきません。ですから笑いの不思議としか言いようがないのです。この柏木先生はそういう末 期ガンの方々の面倒を診ていらっしゃるので、努めてユーモアを発しようとされています。今年の笑い学会の大会で記念講演に柏木 先生に来て頂いたのですが、次のような話をされました。
 やはりもうあと半年とか、期限が限られている、そういう患者さんがおられました。奥さんと娘さんが世話をしており、しかし病 室では笑いがないのです。あと何ヶ月とかいう状況ですから、それは暗いです。そのような状況の中でも何とか笑ってもらいたい、 というのが柏木先生の願いです。先生がその病室を訪ねた時にちょうどお天気が良く、青空が澄みきっていて、その青空を見ながら 「今日は良いお天気ですね、青空で」とお天気の話をされましたら、患者さんは表情一つ変えずにただ先生に相槌打って「うん良い お天気ですね」というだけでした。そこで柏木先生は一枚の紙を用意しておき、その紙は四隅が切ってあり真中に空という字が書い てあるのですが、その紙を懐から出してそれを患者さんに見せながら「こんな空でしょうか」と続けました。すると患者さんはキョ トンとして、何のことか良く分からずにいると、先生が「四隅を、隅を切った空なのですが」と言うのです。そこで初めて患者さん は気がつき「あっ、すみきった空ですか?」と初めてニコーッと笑ったそうです。 そのままその紙を置いて先生は帰られました。
 半年が経ち、その患者さんは亡くなられました。後で遺族会というのがあり、その遺族の方がみえた時に、奥さんが懐から紙を一 枚出して「先生、この紙は私たちの宝物です」と言って見せてくれたそうです。先生はもう忘れかけていました。 何の紙かと開け たら、その時に差し上げた四隅を切って空という字を書いた紙なのです。それを奥さんと娘さんが大事に持っておられたわけです。 というのは、あの時に本当によくぞ笑ってくれた、あの笑った顔は忘れられない、その紙を見ては主人がニコーッとしていたという ことでした。そして四隅を切った空を書いたその紙が我が家の宝物になっています、とそんな報告をしてくれたと話しておられまし た。
 まだまだ不思議で分からないことがあるのですが、笑いが心の憂さとか、心に溜まっているものを飛ばしてくれるということは あると思います。


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