HEPnet-Jの変遷をここで少し振り返っておきたいと思う。 ややうろ覚えと書いている通りあまり正しくないかもしれないのでご了承願いたい。
83年頃には、NTTのDDXというのを使って、DECnetを流したり他のことに利用したりしていた。
87年頃には、FVAN(富士通のVANサービスFENICS)を使ったり、それと補充する形でNTTの専用線を使って、FNAやDECnetを動かしたりしていた。 この富士通VANの上で両方を動かすためにDMIX(富士通の多重化装置)を入れて動かしていた。 この頃は主要大学のHEP研究室には富士通のMシリーズのM380等が導入されていた。 大学のHEP研究室にある富士通マシンとKEKにある富士通マシンを富士通のVANで富士通のDMIXを使ってつないでいたのがこの時代である。
89年に学情(学術情報センター)のX.25網が始まったと記憶している。 これを利用すべく、その時に、FETEX(富士通のX.25交換機)を導入して、大学のHEP研究室にある富士通マシンとKEKの富士通マシンをFNAでつないだ。 この時点まではFNA以外はDECnetだけだったのが、FETEXの両側にCiscoのルータを置いてIPとDECnetの両方を動かすようになったのもこの頃である。
94年には学情がフレームリレー網のサービスを始め、フレームリレーのPVCを使うHEPnet-J構築に切り換えた。 BSTDX(これは富士通の機械ではないが富士通から導入した)を使い、フレームリレーによるCisco接続に切り換えた。
96年になって、学情ATM網のサービスが始まり、ATM-PVCによるCisco接続に切り替わった。 これが前ページのスライドの絵のATM-PVCを使ってHEPnet-JがVPNとして構築されているというものである。
前述した通り、来年(2002年)からはMPLS-VPNを使っていく方向に切り換えていこうとしている。
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